「数学」という世界を見るための眼鏡

最近、日常生活に数学の考え方を
とり入れたいと思い、
森田真生著『数学する身体』を読んでいます。
数学の物語は、
情景に色味がないので好きです。

今日読んでいたところで、
気になる記述が2つありました。
そのうちの1つは
「数学の議論と数学についての議論」(P.82)
です。

「について」がつくとなんとなく対象が
ぼんやりするイメージですが、
ずっと考えていると「数学の議論」の方が
例えば数学という言語による議論、
といったように、
対象そのものではなくなってくるような
気もします。
数学者特有のものの考え方や言い方って
ありますものね。

だから
「数学の議論=数学という言語による議論」は
ありえるのかもしれません。
数学という言語がわかれば、
証明に飛躍を感じなくて済むだろうなあ、
と思います。

「数学」という世界を見るための眼鏡は
私が最も欲しい眼鏡です。