【LADYLIKE】思念だけの人になりたい

このところ「静かに過ごしたい」と思って
音楽を聴くのをやめていましたが、
友人のピアニストである土師さおりさんが
CDを発売した
しかも私の大好きなショパンの
バラード第1番が収録されている
ということで購入し、
2ヶ月くらいぶりに音楽を聴きました。
夏頃にひっきりなしに聴いていた
バラード第1番は
ルービンシュタインの演奏でしたが、
土師さんの演奏は最後の方で
音符がくんずほぐれつするというか、
その緩急にはまってしまいそうで
とても素敵でした。

今日電車の中でNumberの中吊り広告を見ました。
フィギュアスケート特集なんですね。
浅田真央の記事、読みたいなあ、と思う一方で、
そうすると過去のフィギュアスケート特集を
手放した意味がなくなってしまうかなあ
とも思いました。
物としての持ち続けても
そう何回も読めないので、
1回しっかり読んで内容を心に刻みつけたら
雑誌本体は処分してしまっても良いのですが。

秋の初めに何週間も買うか迷って
結局買わなかったマグカップを
その後も何週間か未練がましく
「ほしいなあ」と思っていたので、
結局買いました。

といったように、ミニマリストを目指しつつも
やはり捨てきれないものがあります。

しかし私がなぜ物を
減らしたかったのかというと、
物の管理に煩わされることなく、
もっと考えることに
頭を使いたかったからです。
人間の体がなくなることは
まだしばらくないと思いますが、
まるで体がなくなっているかのような状態に
なりたいのです。

最近『数学する身体』を読んでいるせいで
考えがそちらにひっぱられていて、
そういった
思念だけの人になりたい、静かにしたい、
同じことを繰り返すこと、
コントロールしたい、抑制されている状態、
シンプルにして応用すること、
文字を書くこと、
といった私の欲求の通奏低音として
数学の考え方があるのではないかと
思ってしまうのです。

でもその一方で身体性もきちんとあって、
本質的なものだけを抽出する方には
行ききらないところもあります。
だから物を捨てきれないんですよね、きっと。
そういったどちらか一方に行ききらないところが
私の特徴であり、
狭間にいてその両側を結ぶこと、
といったこともしていきたいと思うのです。
LL2015-11-06思念だけの人になりたい

Please follow and like us: