服との付き合い方に、生き様が垣間見える

秋の初めに買ったスカートに
毛玉が付いているのを見つけました。
ジャージー素材の毛玉は取りにくいので、
今シーズンで終わりかなあ、
と思っています。
(毛玉取り機を使えばいいのですが、
上等な洋服ブラシを買った時に、
そのブラシで毛玉をほぐせる
ということだったので、
捨ててしまいました…)

今シーズンに大活躍したものの、
1シーズンで処分するなんて、
私にはあまりないことです。
このスカートは
ファスト・ファッションブランドでは
ありませんが、
大手通販会社の安い製品なので、
同じことなのかもしれません。

今回のことを反省して、
私はベーシック・スタイルを
基調としているのだから、
これから買うのは
ちゃんとした素材だけにする、
と心を決められたら良いのですが、
時に女子としてのかわいさも欲しくなり、
その時の気分にあった
かわいいデザインを選ぶと、
ベーシックなデザインでは
なくなることがあります。
すると、安く取り入れたいんですよね。
この浮気心、どうしたものか…

しかし
「時に女子としてのかわいさも欲しくなり、
その時の気分にあった
かわいいデザインを選ぶ」
というのは、
必ずしも悪いことではないはずです。
なのになぜ、そういったことをして結果的に
服をすぐ捨てることになってしまうことに
抵抗を感じるのでしょう?

1つは、物を浪費するのは良くない、
という環境問題の視点からの正しさに
そぐわないことです。
環境問題と経済の問題は
両立するのが難しい
と言われることもありますが、
例えば5,000円のスカートを
毎年買うとすると、
10年経ったら5万円です。
5万円のスカートと言ったら
スカートの中ではかなり高い方なので、
それなりに良い素材を使っているはずで、
10年の使用に耐え得る可能性があります。
単純に売上価格だけで
論じられる問題ではないかもしれませんが、
浪費をやめると経済が低調になるというのは
必ずしもイコールではないかもしれません。
だからこの抵抗感は主に
環境問題によるもの、とします。

2つ目は、もっと自分の気持ち
あるいは考え方に関することです。
私は職業柄、比較的、
服のことばかり考えている方ですが、
30代も半ばになると、
仕事のこと、ひいては人生のことに
頭を悩ませることがあります。
すると、服のことばかりは
考えていられない。
現代は身なりに気を遣うことが
社会的能力に含まれるように
なってきているので、
そういった意味では昔よりは多くの人が
服のことを頻繁に考えるように
なっていると思います。
しかし、あまり
見た目のことにとらわれるのは
自分の軸が見つかっていないということの
表れのようにも思われるのです。
実際、私はまだ自分の軸が
定まりきってはいませんし、
見た目のことに
とらわれてもしまいますけどネ…

でもそんな風に、
服との付き合い方には生き様が垣間見える
とすると、では自分はどうありたい、
どう見られたいか、を考えた時に
やはり良いもの志向でありたい、
そう見られたい、と思うから
服をすぐに捨ててしまうことに
抵抗を感じるのです。

服との付き合い方に
そこまで重く考えるのは
面倒かもしれないけれど、
ここまで考えれば、
私の行動も定まるだろう、
というとたぶんそう上手くはいかなくて、
性懲りも無くその時の気分に合わせて
安い製品を手にしてしまうことが
これからもきっとあるでしょう。
服というのは気持ちの問題が無視できない
難しい製品であり、
だからこそ面白いのです。

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